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宗教を学べば経営がわかる

ベストセラー著者の初対談『宗教を学べば経営がわかる』池上彰 入山章栄 | 文春新書ベストセラー著者の初対談 博覧強記のジャーナリストと『世界標準の経営理論』の著者が初対談。キリスト教からイーロン・マスクまで。人を動かす原理に迫る。『宗教を学べば経営がわかる』池上彰 入山章栄https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166614622 三宅香帆さんとTBSの竹下さんが、1ヶ月間で読んだ書籍を紹介し合う Page Turners というyoutubeの企画があり、そこで紹介されていて知った書籍の一つです。ちなみに、この Page Turners の書籍は、Page Turnersブックリスト - Google Documents で公開されているようです。 対談形式の書籍は初めての経験でしたが、各章の冒頭に付された解説でポイントを掴み、その後の具体的な対談に進む構成は非常に読みやすく感じました。 「宗教と優れた企業経営は、本質が同じである」という主張を耳にした当初は、「本当だろうか?単に目を引くための言葉なのでは?」と懐疑的でした。実際、Page Turnersで紹介される以前に書店の面陳で見かけていたものの、手に取るには至りませんでした。読了後、この先入観が誤りであったことを痛感し、自らの浅慮を恥じ入るばかりです。 本書によれば、宗教と優れた経営の共通点は「同じ目標・信念を持つ人々が集い、その動機づけによって共に行動する」点にあります。特にVUCAの時代においては「腹落ちできる心の拠り所」がより一層求められ、それを提供することも両者の重要な共通点だと指摘されています。この視点には深い説得力を感じました。 宗教において「腹落ちできる心の拠り所」の重要性は自明視されていますが、経営学にも同様の重要性を説く「センスメイキング理論」が存在します。VUCAの時代には解釈の多義性が増大するため、「組織の解釈を統一し、納得感をもって行動し、その行動から得た解釈がさらなる納得感を生む」循環が優れた経営には不可欠だと論じられています。本書で紹介されたアルプス山脈での遭難事例やイーロン・マスクに関する考察は特に印象的で、正確性よりも納得性の重要さを心から理解できました。 中間管理職として特に響いたのは、トップが繰り返し語るパーパスやビジョンを、中間管理職が現場の言葉に翻訳して腹落ちさせる役割の重要性です。これは私に大乗仏教における「方便」を想起させました。法華経の「三車火宅の譬え」のように、抽象的な概念を理解しやすく伝える工夫が経営にも不可欠なのだと気づかされました。 また、パーパスやビジョンを明確に言語化し、多様な形で社員やステークホルダーに伝えることの価値も強調されています。入社時にビジョンに至るストーリーを動画で見た際の理解のしやすさを思い出しました。これは宗教における聖書を基にしたステンドグラスや彫刻、絵画に相当するものでしょう。仏教においても釈迦の十大弟子の一人である難陀を題材にした戯曲があったことも思い出されます。 この書籍の中核となる「優れた経営と宗教は『腹落ち』が鍵を握る」という主張は、読後に自分の中でも確かに「腹落ち」しました。 本書を通じて、経営学と宗教の共通点を軸に展開される豊富な知識の数々—両利きの経営、レッドクイーン理論、チャーチ・セクト論(legitimacyの獲得)、プロテスタンティズム(特にカルヴァン派)の資本主義への貢献、ティール組織など—に触れられたことは、知的好奇心を大いに満たしてくれました。 memo センスメイキング理論 相対主義(relativism)に基盤を置く。相対主義とは、人(=主体)と対象物(=客体)は、ある意味で不可分であり、主体ごとに客体の解釈が変わってくる」こと。同じ本を読んでいても学びは違うという考え方。実証主義はその逆で、同じ本を読んでいるのであれば、みんな学びは同じであるという考え方。 VUCAの時代には、人によって解釈の多義性が大きくなりがち。「AIをどう思うか」「気候変動は人類になにを及ぼすか」 「組織の解釈を揃えて、納得しながら行動し、その行動から得た解釈が、さらなる納得感を生む」というサイクルを作っていくのが大事 -> センスメイキング理論 パーパス、ビジョンを掲げる企業は増えているが、社員はそれに腹落ちせず目先の数字の正確性を重視しているのでは。不確実性の時代に腹落ちがないまま動けない。正確性より納得性が大事 ハンガリーの偵察部隊が冬のアルプス山脈で遭難した。偶然ポケットに入っていた地図を頼りにチームが合意にいたり下山にチャレンジし成功する。しかし地図はピレネー山脈のものだったのだ。勘違い故に「地図があるので下山できるかもしれない」とチーム全員が腹落ちしリスクを取ることができた。 トップはしつこく語って腹落ちさせる。中間管理職は現場の言葉に置き換えて腹落ちさせる。ビジョンをきちんと言語化しみせていく(動画とかもあり)。 平井さんはソニー中興の祖。ソニーという宗教を「KANDO」という言葉で再定義。中興の祖は傍流から社長になることが多い? 持論は普遍性が証明されて初めて理論になる カルヴァン派の思想が、アメリカ、イギリス、オランダの資本主義を発展させることに大いに貢献した カルヴァン派の特徴は「予定説」 誰が死後に神に救われるかは,神によって既に決まっている マックス・ヴェーバー(Max Weber) の著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』いわく 「自分は救われているのか?」という不安は消えない → そのため、「救いのしるし」を現実の行動の中に見出そうとする。→ ベルーフ(Beruf:職業・天職)に必死に取り組む 宗教に関連したキャッチアップ 東方正教会は、国ごとに独立した正教がある。ウクライナ正教とベラルーシ正教はロシア正教の管轄下にあったが、ウクライナ正教が(クリミア併合などに反発し)独立を宣言、ロシア正教のキリル総主教はそれに不満を持ち、ロシアのウクライナ侵攻を「祝福」した。もともとはロシア正教会のもとに建てられ、現在は日本正教会としてロシア正教会とつながりを持つニコライ堂は「あらゆる暴力行為と破壊に反対」とウクライナ戦争に抗議している。 「カリフ」はムハンマドの後継者の名前。直近では、オスマン帝国のスルタンがカリフの名前を継承していたよう。トルコの初代大統領ケマル・アタチュルクがカリフ制度を正式に廃止した。宗教的権威が政治に介入する体制を否定したかった。ISのバグダディ(偽名)がカリフを宣言した。それも腹落ちで人を動かした例。 現在のローマ教皇(第266代)フランシスコは、アルゼンチン出身。南米は高い信者数だが、近年プロテスタントへの改宗も進んでいる様子。アフリカのサハラ以南でカトリック教徒が急増しており、今後は強固な地盤になる。 チャーチ・セクト論 チャーチ: 社会に広く受け入れられ、制度化された大規模宗教(例:国教会、カトリック) セクト: 純粋な信仰を重視し、社会と距離を取る少数派の宗教共同体(例:原理派プロテスタント) デノミネーション: セクトとチャーチの中間で、一定の正当性を得た団体(例:ルター派) カルト: 伝統宗教とは異なる独自の教義を持ち、しばしば社会から孤立・警戒される新興宗教(例:統一教会、かつてのオウム真理教) イスラム教には教団がない 共同体は「ウンマ」と呼ばれる。国境や民族、言語を超えた「全世界のムスリム(イスラム教徒)による一つの共同体」 ウンマの指導者は「イマーム」と呼ばれる 「イマーム」について血統を重んじるのが約15%を占めるシーア派、血筋関係なくムハンマドの言行(スンナ)を拠り所にしてウンマを運営しようとしているのがスンナ派 イスラム法学者「ウラマー」 イスラム金融 イスラム教は利子を取ってはいけないという教えがある(シャリーア) イスラム銀行は預金者と一緒にその会社を買い取り、経営する人は利益が上がったら買い戻して、上乗せ金額を山分けする イスラム教は入るのは簡単だが出られない 「アッラーの他に神はなし、ムハンマドはアッラーの使徒なり」とイスラム教徒の男性2人の前で唱える 棄教は禁じられている イスラム教のルールはコーランが生まれた地域や時代の実利に合わせて創られているかも お酒を飲むと水分を欲するようになるので乾燥地帯だと危険説 豚を食べないのは、人間と食べるものがかぶる、あるいは豚の間で病気が流行っていたから説 英国国教会に弾圧され海を渡ったピューリタン ヘンリ8世が王妃の侍女と結婚するために、王妃と離婚するための承認をローマ教皇に求めたらところ、破門された イギリス国教会を作ったが、教義の違いによる独立ではなかったので、中身はカトリックに近く、カルヴァン派の影響を受けた人々が不満をつのらせていた エリザベス一世は、そういった熱烈な信者を「pureな人たち」と皮肉ったことからピューリタンと呼ばれるようになったそう。 ちなみに、カトリックにおいては、結婚は「秘跡(サクラメント)」の一つとされ、神の前で結ばれる「聖なる契約」で、離婚は禁止とされています。たとえ世俗の法律で離婚しても、カトリック教会の見解では2人は依然として結婚したままです。このハードルが高いために、PACSなどのパートナーシップ制度の利用が増え、婚外子も増えている説もありそう(感想)。 アメリカの大富豪はなぜ寄付をするのか 新約聖書のマタイによる福音書曰く、「金持ちが天の国に入るのは難しい」 市場に製品を供給することは隣人愛の実践? 経営に関するキャッチアップ 両利きの経営(Ambidexterity)とは、既存のビジネスを効率的に運営しながら(知の深化 - Exploitation)、同時に将来のイノベーションのために新しいことに挑戦する(知の探索 - Exploration)という、相反する2つの活動をバランスよく実行する経営のあり方。日本の伝統的な大企業や中小企業で足りてない。探索というのは、「まだ答えがないことに時間と労力をかける」行為なので、短期的な成果が見えにくく、曖昧で、不確実性が高い。「知の探索」を続けるには腹落ち感が重要。 レッドクイーン理論は、一言で言えば「現状維持は、実質的な後退」。 現状維持や効率化(知の深化)だけでは「ただの現状キープ」であり、 競争環境ではむしろ相対的な地位を落とす。持続的な差別化や競争優位を築くには、「探索(新技術・新市場・新価値)」が不可欠。ガラケーで他者と競い合っていたら、iPhoneが市場を奪っていく図。 ティール組織 「ある一定の価値観を共有した組織で、個人個人が各自の判断で自律的に行動する、自律分散型の組織」 = 「特定のリーダーがいない、ある意味で全員がリーダーの組織」 組織の進化段階を「色」で分類し、最も進化した形がティール(青緑) 社会学ベースの制度理論(Institutional Theory) 人は必ずしも合理性だけでは行動せず、心理バイアスのかかった行動を取る 中でも、その社会・組織で正当性(legitimacy)があると認識された行動を取るようになる みなが特に深く考えずに同じような行動を取るようになる(isomorphism)

3月 30, 2025 · 1 分 · 44smkn

論破という病

論破という病 「分断の時代」の日本人の使命 -倉本圭造 著|中公新書ラクレ|中央公論新社 自分と異なる意見を持つ相手を「敵」と認定し、罵りあうだけでは何も解決しない。今必要とされているのは、「メタ正義感覚」だ――。日本に放置されているコミュニケーション不全に対し、対立する色々な立場の間を繋いで成果を出してきた〝経営コンサルタント〟の視点と、さまざまな個人との文通を通じ、社会を複眼的に見てビジョンを作ってきた〝思想家〟の視点を共に駆使し、新しい活路を見いだす。 堀江貴文氏失脚に象徴的な日本の「改革」失敗の本質的な理由や、日本アニメの海外人気が示唆するもの……などをひもとくことで、「グローバル」を目指して分断が深まった欧米とは異なる、日本ならではの勝ち筋を見つけ、この20年の停滞を乗り越える方策を提示する。あらゆる「絶対」が無効化し、混迷が深まる多極化時代の道しるべとなる1冊。https://www.chuko.co.jp/laclef/2025/02/150834.html 著者の倉本圭造さんの経歴がユニークだったために、気になり手に取った本です。 マッキンゼーでキャリアを開始し、その後は肉体労働やブラック企業勤務、カルト宗教団体への潜入、ホストクラブでドンペリを入れもらうなど、様々な経験を経て、船井総研に入社し、現在は独立しているとのことです。 「恵まれたエリート目線では見えないものを知るために(という今思うと少し浅はかな青臭い精神で)」とおっしゃっていましたが、「イシューからはじめよ」でも一次情報に触れることの重要性が語られていたように、素晴らしい姿勢だと思います。 本来であれば、専門性が高いエッセンシャルワーカー(教員や保育士、学校や病院介護施設の調理員など)の待遇はホワイトカラーよりも良くあるべきだと思っており、少し後ろめたい気持ちで日々を過ごしているだけの私とは違います。 本書の冒頭で、「メタ正義感覚」について語られています。 「メタ正義感覚」とは、相手が持つ正義と自分が持つ正義の両方を尊重することです。 足して2で割った妥協案ではなく、相手の意見の存在意義に向き合い、クリエイティブな解決策を考えることが求められます。 これは、メアリー・フォレットが提唱した「統合」に似ていると感じました。 本書には旅行の計画が例として挙げられていましたが、私は注文住宅の設計について考えました。 例えば、「全館空調にしたい」という意見があったとして、その意見の存在意義は「第一種換気を取り入れたい」であったり「室外機の数を減らして外観をスマートにしたい」かもしれません。 後者の理由でかつコストがネックで対立しているのであれば、屋根裏エアコンでも十分に叶えられる可能性があります。 本書では、メタ正義感覚を持つことが、社会課題の解決に向けた重要アプローチであると強調されています。 その後に語られる「水の世界」「油の世界」という概念と、それらを「乳化剤」によって共存させるアプローチ(マヨネーズのような形態)は、まさにメタ正義感覚の実践例として印象的でした。 IT技術の社会実装については、SIerやコンサルタントの立場にある方々がより切実に課題を感じているかもしれません。 著者によれば、日本の働き手は末端まで強い責任感を持ちすぎており、外部からの改善提案を受け入れにくい傾向があるとのこと。 このような状況に対し、著者は「水側の人が油側の人をあと3歩迎えに行く必要がある」と提案しています。 かつては「過剰にカスタマイズを求める人々が合理化を妨げている」という考えを水側の人が一方的に押し付けていましたが、最近は日本企業の事情に歩み寄り、現場のニーズに徹底的に寄り添ったユーザーインターフェースを作り込む企業が増えてきているそうです。 「一つのことをうまくやる」SaaSを組み合わせるUNIX哲学的なアプローチは、特に中堅企業において有効な選択肢になりうると感じました。 著者はまた、「ドラクエ型」と「FPS型」という興味深い概念で日本の競争力低下を説明しています。 ドラクエ型は従来の日本的競争スタイル、FPS型は新しい競争スタイルを表しており、日本が全体的に競争で後れを取っているのは、競争の形態そのものが変化したためだと指摘しています。 ドラクエ型が有効な分野ではまだ強みを発揮できているものの、ソフトウェアや家電といった分野ではFPS型への転換に遅れを取っているとのこと。 これは経営学でいう「知の深化」と「知の探索」の対比に通じるものがあります。自分自身が「ドラクエ型」の思考を持っていたことに気づき、ハッとさせられると同時に、その分析には納得感がありました。 本書は様々な社会課題に対してメタ正義感覚をどう適用していくかを具体的に示しており、読み進めるうちに概念が腹落ちしていく体験ができました。 読後は未来に対してやや希望を持てる気持ちになりました。 課題は山積していますが、議論は既に本書で言う「令和型」に移行しつつあり、地に足のついたメタ正義的な解決策を積み重ねていける兆しが見えると感じました。 本編を通して「〜な意見があり」という形で紹介される多様な意見の存在に新鮮さを覚えました。 これは私自身が似た属性の人々との交流に偏りがちで、著者のように多様な人々と接する機会が少ないからでしょう。 読書を通じて異なる視点や課題を俯瞰し、日本社会の解決策を考える機会を得られることは、ありがたいなあと感じました。 Xでいろんな意見を見ている感覚でいたのですが、実際にはフォローしている人は自分とよく似た属性の人ばかりであることに気づきました。 よく考えたら、フォローしている人以外のつぶやきを見るのは「松村北斗」「内山昂輝」「トンツカタン森本」でパブサするときだけでした。 そのベン図ある? Memo 令和の議論の目的は、「『イデオロギー的な敵』を論破するのではなく、協力し合って具体的な問題解決を行うこと」であるべき 「『我々善人の敵』を徹底的に打倒しさえすればすべてがうまくいく」という平成・昭和型の議論から脱却する メタ正義感覚 相手が持つ正義と自分が持つ正義の両方を尊重する = NOT 足して2で割った妥協案 相手の意見の存在意義に向き合う ex) 「沖縄に行きたい」という意見があり、なんらかの理由でそれとは対立した意見を持っている。自分の意見を押し付けるのではなく、なぜ「沖縄に行きたい」のかを掘り下げて双方の意見の存在意義を満たすプランを考える。それは2で割った妥協案よりもクリエイティブで、当初のプランとは全く異なるものかもしれない。 どれだけ相手のニーズを汲み取った提案ができるか?という競争的な側面もある フィジカルレベルで理解する必要がある、形だけの尊重が世にあふれている 📝 これは、メアリー・フォレットが対立解決の方法として提唱した 統合(Integration)っぽい。 📝 例えば、注文住宅を設計するときに、「全館空調にしたい」という意見があったとして、その意見の存在意義は「第一種換気を取り入れたい」であったり「室外機の数を減らして外観をスマートにしたい」かもしれない。後者の理由でかつコストがネック対立しているのであれば、屋根裏エアコンでも十分に叶えられる可能性がある。 メタ正義感覚の本質を山積みの社会課題に適用していく ネオリベラリズム シカゴ大学の学者グループなどを中心とする経済学の一つの学派 特にアメリカのレーガン政権やイギリスのサッチャー政権が推進した経済政策の思想 小さな政府(規制緩和、政府の市場介入を減らす) 市場原理主義(自由競争を重視) 民営化の推進 福祉の縮小 新自由貿易の推進 日本ではこの言葉が、新自由主義経済学から離れて、「庶民の敵」「竹中平蔵や小泉純一郎(非正規雇用の拡大による格差の拡大の文脈?)」を表す批判的な意味合いで使われることが多いらしく、この本でもそのように使われている 「議論ができない国」を20年間やってきたからこそ、これから反撃のチャンスがある 過去20年の日本の停滞は、グローバル経済の毒(解雇規制,社会保障費の大幅な削減,移民受け入れ)から自分たちのコアの長所を守るためだった 水の世界と油の世界 狭義の合理主義者が、憎らしくてたまらない “なにか” によって支えられている共通善のようなものがある 水は自由にそのとき最適な場所へ流れ、油は1箇所にへばりついて特有の世界を形成する 「油の世界」の論理だけを追求すると、人々の連帯感や社会の安定感が生まれる一方で、個人への抑圧が強くなる。千変万化する情勢に鋭敏にやり方を変えて対応することが難しい 「水の世界」の論理だけを追求すると、最近の研究や学識を取り入れながら急激に変化することが可能だが、地場の人々の連帯感が失われる 水と油は乳化剤によってそれぞれの性質を維持しながら共存することができる、マヨネーズやバターを作る発想が持てるかが重要 水の世界の住人と油の世界の住人が、メタ正義的な関係を築くことができれば、油の世界の住人は水の世界の住人の動きを応援してくれる オプトインよりオプトアウト型 ドラクエ型とFPS型 日本が全体的に競争に劣後したのは、競争が変わってしまったから ドラクエ型で対応できる分野はまだ強いが、ソフトウェアや家電といった分野はFPS型に変わり他国に遅れを取っている 📝 これは両利きの経営における「知の深化」と「知の探索」に対応しそうだ 油の世界の人がその中のルールを水の世界の人間に押し付けてはいけないし、その逆も然り 象は象の生態を徹底的に生きるべきで、チーターはチーターの生態を生きるべき 人間の組織と言うのは、ちょっとした雰囲気程度のことで、パフォーマンスが全然変わってきたりすると理解して尊重し合うことです 伝統的な大企業がベンチャーと協力するような、「油の中に水」型は日本は得意な一方で、「水の中に油」型の協業が苦手 油の世界の密度感で、経済合理性からすると、非合理なレベルで突き詰められたものたちを、水の世界に渡して、グローバルに売りまくる 日本には普通にあった高性能なペン「ポスカ」などを適切なマーケティングのもと海外で売りまくり、このデジタル化とペーパーレス化の時代に、過去最高益を叩き出している三菱鉛筆 スラムダンク式と筆者は言っている(仙道と魚住)。 IT技術の社会実装はさらに上級の課題 日本の働き手は末端まで自分の仕事に対する責任感が強すぎて、外部が改善するのをとにかく嫌がり共通したシステムを入れて、全体として合理性が生まれることに強烈に必死に命がけで抵抗する傾向がある こういう分野は、水側の人が、油側の人をあと3歩ぐらい迎えに行く必要性がある ここ20年位の日本では、過剰にカスタマイズしたがる人のせいで、合理化が進まないのだという一方的な意見ばかりが水側から出されていた。しかし、直近は違うようです。日本企業側の事情に歩み寄り丁寧に場合はをし、現場のニーズに徹底して寄り添ったユーザーインターフェースを作り込むような会社が増えた。水の世界のインテリが、中央集権的に末端まで管理する。過去20年のシステムとは、逆に油の世界で蓄積された価値をITが吸い上げるタイプの専用品は、今後の日本で非常に重要な価値筋となっていく。 人は艱難は共にできるが、富貴は共にできない 日本は中小企業があまりに小さいサイズのまま放置されているので、それが生産性の効率化を妨げている 従業員数10人とかの零細企業を他国に比べて多く、大抵従業員は低賃金で長時間労働をさせられており、いわゆる多重下請け問題にもつながる構造的な課題になっている 20人未満の企業で働く人の割合を見ると、国全体の生産性とかなり綺麗な反比例関係にある 中小企業の区分とは別に中堅企業と言う法的区分を設けて、そこに集約が済むような丁寧な政策を打ち始めた 多種多様な現場レベルの工場従業員や働き手の自己効力感を破壊せず、むしろ彼らが提供する価値をグローバルに有効な価値筋に昇華させ、徹底的にマネタイズできるような戦略と噛み合った上でならば、中小企業の統合プロセスは今後自然と進んでいくように思う

3月 30, 2025 · 1 分 · 44smkn

教員不足

教員不足/佐久間 亜紀|岩波新書 - 岩波書店 先生が確保できない。全国の学校でそんな悲鳴が絶えない。独自調査で問題の本質を追究し、教育をどう立て直すかを具体的に提言。 佐久間 亜紀 著https://www.iwanami.co.jp/book/b653997.html 教員の方々が非常に忙しいというのは、教職の友人や(教育関連サービスを提供している関係上)職場でもよく耳にすることでした。 しかし、何が原因でそのような事態となっているのか、いつ頃からなのか、その解消に向けた動きはあるのか、といった疑問をそのままにしていました。 タイトルを見た瞬間、頭の片隅にあった疑問たちが一斉に脳の中心に押し寄せ、私の手を岩波の赤い表紙が並ぶ棚へと導いたのです。 冒頭では、著者の教え子で教職についている方々のエピソードが紹介されますが、妊娠を喜べない窮状や教員不足による過度な労働など、心が痛むものばかりでした。 本書は、それが特殊なケースではなく、普遍的な現象であることを裏付ける調査結果と考察が展開されています。 そもそも「教員不足」にも複数の解釈があり、本書では4段階に分類されています。 私のように背景知識がない人がこの4段階を理解するうえでは、2つの壁があると考えます。どちらも詳細に記述されており、理解に困ることはありませんでした。 1つ目は、国が標準とする教員定数(基礎定数と加配定数)を決める仕組みである義務標準法です。「国が標準とする」という表現の通り、これがそのまま採用されるとは限らず、最終的には地方自治体が教員数(条例定数と配当定数)を決定します。 義務標準法では、必要な学級総数(通常学級と特別支援学級の担任数)を (生徒の数) / (1クラスあたりの人数) で計算します。(1クラスあたりの人数) は、現在35人学級への移行中であるため、35あるいは40人が標準となっています。これに加えて、担任を持たない教員の数を決めるために、「乗ずる数」と名付けられた係数をかけます。学級数に応じた係数が定められており、例えば、中学校の全6学級であれば、1.75倍となっています。 さらに、ここに加配定数が加わります。学校の課題に応じて措置する定数とされています。しかし、年度ごとに確保される予算であるため、加配定数を根拠に正規雇用するのが難しいという問題があるようです。 この雇用するべき教職員数の標準を雇用するための人件費の1/3が国庫負担金として自治体に交付されます。 2つ目は、教員の非正規雇用についてです。私が中学生であった2011年時点で、6人に1人は非常勤講師という状態だったとのことですが、正直生徒の立場からはその差異はよく分かっていませんでした。 実態はかなり多様ですが、大きく3つのグループに分類できます。第一のグループ「臨時的任用教員」は、任期付きではあるものの、フルタイムの常勤であるため、学級担任や部活指導も任されます。第二グループ「非常勤講師」は授業だけを担当します。しかし、2001年以降は多様化し、「常勤的非常勤」という一見矛盾した働き方が増えています。第三グループ「再任用」は、定年退職後に再び任用されるものです。 この2つについて理解すると、4段階に分けられる教員不足が理解できるようになると感じます。 第一次未配置 正規雇用教員が年度当初で既に不足している 第二次未配置 臨時的任用教員を配置したうえで不足している 第三次未配置 常勤的非常勤講師を配置したうえで不足している 第四次未配置 各学校で教員の受け持ちを増やしたり教頭先生が兼務するなどしてカバーしたうえで不足している つまり授業が行えず、自習状態になっている 驚いたのは、第四次未配置を回避するための対応として、免許外教科担当制度という特別に免許のない科目について教員が授業を行うことがあるという点です。 これはデジタル教材を活用できるのではないかと思いました。中国では、教員の監督のもとデジタル教材を視聴することで、学力の地域格差を縮小した例があったと記憶しています。 本書の中で調査に協力してくれたX県では、授業が行われないケースはなかったものの、第三次未配置の状態にあり、本来は産休などのために確保している臨任や非常勤講師を4月時点で使い切ってしまっているようです。団塊世代の退職に伴って教職員の若返りが進んだことで産休の需要は以前よりも高まっていることや、精神疾患による休職の増加を踏まえると、これは深刻な問題と言えます。現に調査では、年度末の不足は年度始めの2倍ほどになっているとのことです。 第4章から第6章では、なぜ教員不足になったのかという点についての考察がなされています。 バブル崩壊から連鎖した不景気の波は、国の財政の合理化を促進し、行財政改革による公務員の削減と義務教育費の削減が行われました。その結果、少子化へと向かう社会の中で、終身雇用を保証する正規雇用は避けられ、非正規化が進みました。教育改革によって教員の負担が増え、長時間労働化が進行しました。さらに、教員免許の更新制の導入(2022年に廃止)など、教員を減らす力学が働く政策が実施されたことが追い打ちをかけたようです。 第7章は、より教員が不足しているアメリカについての記述がありましたが、なぜアメリカで分断が進んでしまっているのかという示唆を得たように感じました。 「公立学校はセーフティネットだ」という表現がありましたが、まさにそのとおりだと思いました。 本書の最後の方でも述べられていますが、私自身も近い将来においてはIT技術が教員の代わりを務める、いわば銀の弾丸にはなり得ないと考えます。 ただ、デジタル教材をはじめとするIT技術によって、より効率的に個別最適化を進めたり、ソフトウェアが校務分掌を担うことで、子どもと向き合う時間を増やせるような、教員の方々がより健康かつやりがいをもって取り組める環境づくりの一助になれるのではないかと思いました。

3月 16, 2025 · 1 分 · 44smkn

科学的根拠(エビデンス)で子育て

科学的根拠(エビデンス)で子育て家庭・学校・塾・職場で「人を育てる」あなたの疑問に、最新の科学がすべて答えます!https://www.diamond.co.jp/book/9784478121092.html 教育業界に関連する事業に携わる者として、公教育で実施されている施策や民間企業が提供するサービスの背景にある根拠、そしてそれらがどのような研究や実験から導かれているのかを概観できる書籍を求めて、この本を手に取りました。 紹介されている研究は、信頼性の高いもの、そして直感に反するものが選ばれているようで、確かにどれも興味深い内容でした。 しかし、最も衝撃を受けたのは「はじめに」の部分かもしれません。教育の「成果」を測る物差しは「学力」であるという考えが、知らず知らずのうちに自分の中に染み付いていたことに気づかされました。 これは私が教育の「成果」を短期的な視点でしか見ていなかったことの表れと言えるでしょう。 (人によって幸せの定義は異なりますが)多くの日本人の人生において大きな割合を占める仕事や結婚を考えると、学力(認知能力)よりも、社会性などの非認知能力の方がより強く求められるものだと著者は指摘しています。そう考えれば、教育の「成果」の物差しは認知能力ではなく、非認知能力とする方が自然ではないでしょうか。 だからといって、認知能力が低くても良いというわけではなく、両方が重要であることが第二章で述べられています。興味深いことに、認知能力を伸ばす上でも非認知能力が鍵となるようです。非認知能力は認知能力を伸ばすことがあっても、その逆はないとのことで、早期に投資すべきは非認知能力(将来の収入と関連があるのは、忍耐力・自制心・やり抜く力)だと説明されています。第9章でも、幼児教育においては、計算や読み書きを小学校入学前に教える「基礎学力重視」の園よりも、「関心・経験重視」の園の方が質が高いという研究結果が紹介されており、これが一つの裏付けとなっています。 非認知能力を伸ばす上で「先生」が重要な役割を果たすようです。第3章で紹介されているアメリカの研究では、中学校3年生の時の先生が、生徒の高校卒業率や成績、大学進学への意欲にまで影響を与えることが示されています。 また、第9章では、デジタル教材を利用する際にも教員の役割が重要であることを示唆する中国とパキスタンでの研究が紹介されており、これからの教育においても教員は不可欠な存在であり続けるのだと感じました。 デジタル教材や学校で活用されるソフトウェアは、いかに先生とうまく連携できるか、いかに生徒と向き合える本質的な時間を確保するために校務などの時間を効率化できるかが重要なのだと思います。 デジタル教材に関しては、アダプティブラーニングの効果についても言及がありました。学力の格差を広げるのではないかという懸念もあったようですが、実際にはむしろ格差が縮小するという結果が見られているとのことです。特に算数や数学において高い効果が確認され、教員の負担軽減にもつながるという見方もされています。 この本は「エビデンスはいつも正しいのか」という章で締めくくられています。 以前読んだ認知バイアスに関する本の最終章が「認知バイアスという認知バイアス」であったことを思い出しました。 こうした自己言及的な章を最後に配置する構成は、個人的に好ましく感じます。

3月 11, 2025 · 1 分 · 44smkn

欧米人とはこんなに違った日本人の「体質」

『欧米人とはこんなに違った 日本人の「体質」 科学的事実が教える正しいがん・生活習慣病予防』(奥田 昌子) 製品詳細 講談社日本人には、日本人のための病気予防法がある!同じ人間でも外見や言語が違うように、人種によって「体質」も異なります。そして、体質が違えば、病気のなりやすさや発症のしかたも変わることがわかってきています。欧米人と同じ健康法を取り入れても意味がなく、むしろ逆効果ということさえあるのです。見落とされがちだった「体の人種差」の視点から、日本人が病気にならないための方法を徹底解説! 日本人には、日本人のための病気予防法がある! 同じ人間であっても、外見や言語が違うように、人種によって「体質」も異なります。 そして、体質が違えば、病気のなりやすさや発症のしかたも変わることがわかってきています。 欧米人と同じ………https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000194958 マウスの実験結果が必ずしも人間に適用できるわけではないということは直感的に理解できますが、人種(遺伝子)や環境(エピジェネティクス)によっても結果が異なることをご存知でしょうか。私はこの事実を知りませんでした。 欧米で確立された健康法は東アジア人にも同様に効果があると思い込んでいました。実践はしていなかったものの、地中海式ダイエットは私たち日本人にも有益だろうと考えていたのです。 しかし実際には、私たち東アジア人は(自然選択を通じて)炭水化物中心の食文化に適応した体質を獲得しているようです。それはインスリンの分泌量、胃酸の強さ、胃の構造など様々な面に表れています。 信頼性の高い論文だからといって鵜呑みにするのではなく、自分の生活に取り入れる前に「私たち東アジア人にとっても」信頼できるデータなのかを慎重に検証する必要があるでしょう。 本書で特に興味深かったのは、実験対象として日系人を活用している点です。ある疾患のかかりやすさが遺伝によるものなのか、あるいは食生活や運動習慣(またはそれらに起因するエピジェネティクス)によるものなのかを判断するために、日本人と欧米人、そして欧米の生活様式を取り入れている日系人を比較しているのです。 「糖尿病の原因=砂糖」「高血圧の原因=塩」といった単純な図式に飛びつくのではなく、そのメカニズムを理解することが重要だと学びました。必ずしも砂糖や塩を減らせば良いというわけではなく、人間の身体はそれほど単純にはできていないのです。 自分の生活に取り入れられそうな知見としては、以下のようなものが挙げられます: 青魚の摂取頻度を増やす(糖尿病、動脈硬化の予防に) 大豆製品を積極的に食べる(糖尿病、骨粗鬆症、脳梗塞の予防に) カリウムの摂取量を増やす(高血圧対策として) 飲酒量と頻度を減らす(高血圧、がんのリスク低減のため) 定期的に体を動かす(大腸がん予防、内臓脂肪蓄積による糖尿病予防のため) なお、本書を読んで最初に驚いたのは、日本人は筋トレで大きくできる白筋の割合が少ないため、いくら鍛えても基礎代謝があまり上がらないという事実でした。

3月 2, 2025 · 1 分 · 44smkn

インターネット文明 (岩波新書 2031)

インターネット文明/村井 純|岩波新書 - 岩波書店 インターネットは、趣味や仕事から医療や安全保障までを包摂する文明と化した。人類史的な課題と使命を、第一人者が語る。 村井 純 著https://www.iwanami.co.jp/book/b650788.html これまでインターネットの誕生から現在に至る歴史を俯瞰したことがありませんでした。「軍事利用のためのARPANETがインターネットの始まり」という教科書的な説明以外は、詳しく理解していませんでした。インターネット(の上で提供されるサービス)で生計を立てている一人として、この本を読んでおく必要があると感じ手に取りました。 本書の主題とは少し離れるかもしれませんが、最初に私の目を引いたのは、日本のFTTH(Fiber To The Home)普及率が8割以上と他国と比較して非常に高い水準にあり、コロナ禍における上り回線の需要を支えたという事実でした。 TCP/IPが急速に広まったきっかけについての記述も興味深かったです。ベル研究所が開発・公開していたUNIXをベースに作られた4.2BSDがTCP/IPを導入したことで、世界中の大学に普及したとのこと。UNIXのライセンス料の高さがLinux開発の契機ではなかったかと一瞬思いましたが、当時はAT&Tが民営化される前であり、教育機関向けには比較的安価なライセンス料だったようです。 海底ケーブルに関する話題は私にとって全く新しい知識でした。北極海の氷が溶けることが海底ケーブル敷設に繋がるという視点は、これまで考えたこともありませんでした。 第6章については、もう少し詳細な内容が読めるとより良かったと思います。1983年に書かれた『HIGH OUTPUT MANAGEMENT』の冒頭では日本企業の強さについて言及されていましたが、なぜ現在では後れを取る結果になったのか、より深く知りたいと感じました。 本書で繰り返し言及される「周回遅れの先頭ランナー」というキーワードは印象的でした。例えば国産クラウドがそのような存在になり得るのか非常に気になっています(個人的には強く応援したいと思っています)。 一見すると本筋から外れているように思える話題もありましたが、それらがむしろ私にとっては興味深い部分であり、読んでいて楽しい体験でした。

2月 25, 2025 · 1 分 · 44smkn

外国語学習の科学 第二言語習得論とは何か

外国語学習の科学/白井 恭弘|岩波新書 - 岩波書店 「外国語を身につける」という現象を科学的に解明し,効率的な学習方法を探る研究の最前線を紹介する. 白井 恭弘 著https://www.iwanami.co.jp/book/b225938.html 第二言語学習、特に英語学習において、私を含む多くの学習者は、熟達者の語る経験談や直感的な方法論に注目する一方で、第二言語習得研究(SLA)をベースにした科学的なアプローチについては、その存在すら知らないことが多いのではないでしょうか。 私自身も、この書籍を読むまでは第二言語習得研究(SLA)について知りませんでした。研究の必要性は想像できたはずですが、考えが及ばなかったようです。 興味深かったのは、小学校の英語必修化の背景の一つとして臨界期仮説があったことです。臨界期といっても絶対的な線引きではなく、敏感期(Sensitive Period)として捉えられることが主流のようです。音素の認識が敏感期を迎えるのはとても早く、生後6ヶ月〜1年だそうです。発音や文法に関しては13歳ごろまでが敏感期とされています。 インプット仮説も非常に興味深いものでした。赤ちゃんが母語習得する際に急に話し出せるようになることに注目したものです。実際にアウトプットがなくともリハーサルがあれば言語能力は発達するとされています。アウトプットをしなくとも、インプット+アウトプットの必要性があれば言語習得につながるのです。インプット仮説をベースにした教授法も注目に値します。 アウトプット偏重になるのは避けた方が良いでしょう。一方で、聞き流しのような学習法はアウトプットの必要性がないため、効果は薄くなってしまう可能性があります。 第二言語習得研究(SLA)のフィルターを通して見ると、言語学習アプリはどのように評価できるでしょうか。例えば、Speakというアプリでは、インプット=インターアクションモデルを利用していることがわかります。 第二言語習得研究(SLA)の時代を知らなくても、私たちはすでに何らかの形でその恩恵を受けているのかもしれません。 この書籍は17年前に出版されたものですので、現在ではアップデートがあるかもしれないと考え、一部検証を試みましたが、根幹を覆すような新知見はなさそうでした。したがって、ここで紹介されている知識は2025年現在でも十分通用すると思われます。

2月 24, 2025 · 1 分 · 44smkn

結婚の社会学

『結婚の社会学』阪井 裕一郎|筑摩書房筑摩書房『結婚の社会学』の書誌情報https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480076144/ 本書の冒頭で、社会学とは「社会の在り方や人間の行動を解明するために常識を疑うことである」と定義しています。 結婚にまつわるステレオタイプがどのように形成されていったか、と歴史を紐解いていくところから始まります。 江戸時代から現代にかけて、日本における「結婚」の形態はどう変化してきたのか。諸外国との比較ではどうなのか。明治時代の外交政策や技術発展が価値観にどのような影響を与えたのか、その変遷を概観できたことは非常に興味深い体験でした。仲人を介した結婚は、明治時代における武士的儒教道徳の浸透や交通手段の発達、さらに明治政府が「家」を基盤とした国家構想を持っていたことから広まったものです。一方、江戸時代の村落共同体(全体の9割を占める)での結婚プロセスでは夜這いが主流だったという事実は衝撃的でした。このように、長く伝統として根付いていると思われているものが、実は近代以降に生まれたものであることが少なくありません。また、神社で行う神前式も伝統的な印象がありますが、実際には欧化政策の中でキリスト教式を模倣して作られたもので、高度成長期に急速に普及したとのことです。 このような、歴史的に古くからあるように見えて実は比較的近代に作られた伝統や慣習は「創られた伝統(Invented Tradition)」と呼ばれています。私たちの日常にも多く潜んでいるのかもしれません。自分のステレオタイプを疑ってみると、そこには興味深い発見が隠されているかもしれないのです。 結婚が「家」同士の結びつきから「個人」同士の結びつきへと変化したのは戦後のことです。ここからようやく、私たちが馴染みのある世界に近づいてきます。 1970年代までは見合い結婚が多数派でしたが、1970年代以降は恋愛結婚が主流になりました。私の世代で考えると、祖父母の時代には恋愛結婚は少数派でしたが、両親の世代では恋愛結婚が「普通」になっていたようです。 第3章では離婚について詳しく掘り下げられています。特に印象的だったのは「足入れ婚」と呼ばれる慣習です。当時の結婚は「家の維持」が第一目的だったため、子を産めない場合、嫁は離婚されることになりました。しかし明治民法では離婚に双方の親の許可が必要となり、離婚のハードルが高くなりました。そのため結婚に慎重にならざるを得ず、嫁はまず半分入籍したような状態で過ごし、子どもを授かってから正式に結婚するという流れがあったのです。これは現在の「できちゃった婚」に近い流れがあることが非常に興味深く感じられました。 第4章では日本の結婚史から視点を広げ、諸外国における結婚と出産・子育ての分離について論じられています。諸外国で婚外子が多いという事実は知っていましたが、その背景までは理解していませんでした。そこにはパートナーシップ制度の充実があり、結婚以外の多様な共同生活形態を法的に認めていることが深く関わっていることが分かりました。 日本においても、法的に認められた共同生活が「結婚」だけで十分なのか、という問いを考えるきっかけとなりました。

2月 15, 2025 · 1 分 · 44smkn

能力はどのように遺伝するのか 「生まれつき」と「努力」のあいだ

『能力はどのように遺伝するのか 「生まれつき」と「努力」のあいだ』(安藤 寿康) 製品詳細 講談社大谷翔平や藤井聡太のような、同じ人間とは思えない卓越した能力は、どうしたら得られるのだろうか。生まれつき決まっているのか。それとも努力や環境しだいなのか。 人類がいまだに答えを出せずにいるこの問題は、「遺伝」につきまとうタブーや偏見が邪魔をして、長い間、正面から議論されなかった。「遺伝と能力」という問題は、パンドラの箱に深くしまわれたままだった。 しかし、双生児の比較から能力と遺伝の関係をあぶりだす行動遺伝学は、唯一、この問題の研究を続けてきた。そして近年、発達著しいゲノムサイエンスによって個人の遺伝的素質がすべて暴かれるようになり、研究は一気に加速した。その数々の成果は、これまで誤解だらけ………https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000378842 私はかつて、性格をはじめとする心の働きは完全に後天的なものだと考えていました。 しかし、行動遺伝学の最新の研究成果によれば、パーソナリティの遺伝率は40%とされています。これは「特定の社会における表現型の全分散のうち、40%は遺伝子型の分散で説明できる」ということです。 パーソナリティは多因子遺伝であり、複数の遺伝子の相互作用によって決定されるもので、単純に親から40%受け継がれるという意味ではありません(エピジェネティクスや突然変異も関与します)。 遺伝によってすべてが決まるわけではなく、パーソナリティの例で言えば、残りの60%は環境要因ということになります。ただし、遺伝子という外生変数が関与しない行動はなく、環境要因にも遺伝が間接的に影響を与えることが多くあります。これは「遺伝と環境の交互作用」と呼ばれています。 いわゆる一流/超一流の能力の発現については、身体的形質、心理的形質、環境的要因が必要であると理解できます。 例えば短距離走者の場合、速筋の割合の多さや骨格のバランス、ストライドの長さといった身体的形質、粘り強さやセルフコントロール能力といった心理的形質、そして早期に競技に出会えるかといった環境的要因が必要となるでしょう。 また、研究者を例にとると、一般知能の高さやワーキングメモリの容量といった身体的形質が必要です。ちなみに知能の遺伝率は50%とされています。好奇心の強さなどの心理的形質も必要でしょうし、早期に適切な教育を受ける機会といった環境要因も重要です。 前述したように、遺伝と環境には交互作用があるため、社会性が高いほうが競技と早期に出会える可能性が高まるかもしれませんし、内向性が高いほうが深い思索を行う頻度が増えるかもしれません。 「努力すれば誰でも超一流になれる」わけでもなく、「才能(遺伝)ですべてが決まる」わけでもありません。身体的な形質だけでなく、心理的形質も重要であり、そこにも遺伝が関わっています。さらに環境も心理的形質によって変化します。そこには複雑な相互作用が存在していることが研究ベースでも明らかになっていることを知ることができ、大変勉強になりました。

2月 11, 2025 · 1 分 · 44smkn