教育業界に関連する事業に携わる者として、公教育で実施されている施策や民間企業が提供するサービスの背景にある根拠、そしてそれらがどのような研究や実験から導かれているのかを概観できる書籍を求めて、この本を手に取りました。

紹介されている研究は、信頼性の高いもの、そして直感に反するものが選ばれているようで、確かにどれも興味深い内容でした。
しかし、最も衝撃を受けたのは「はじめに」の部分かもしれません。教育の「成果」を測る物差しは「学力」であるという考えが、知らず知らずのうちに自分の中に染み付いていたことに気づかされました。
これは私が教育の「成果」を短期的な視点でしか見ていなかったことの表れと言えるでしょう。
(人によって幸せの定義は異なりますが)多くの日本人の人生において大きな割合を占める仕事や結婚を考えると、学力(認知能力)よりも、社会性などの非認知能力の方がより強く求められるものだと著者は指摘しています。そう考えれば、教育の「成果」の物差しは認知能力ではなく、非認知能力とする方が自然ではないでしょうか。

だからといって、認知能力が低くても良いというわけではなく、両方が重要であることが第二章で述べられています。興味深いことに、認知能力を伸ばす上でも非認知能力が鍵となるようです。非認知能力は認知能力を伸ばすことがあっても、その逆はないとのことで、早期に投資すべきは非認知能力(将来の収入と関連があるのは、忍耐力・自制心・やり抜く力)だと説明されています。第9章でも、幼児教育においては、計算や読み書きを小学校入学前に教える「基礎学力重視」の園よりも、「関心・経験重視」の園の方が質が高いという研究結果が紹介されており、これが一つの裏付けとなっています。

非認知能力を伸ばす上で「先生」が重要な役割を果たすようです。第3章で紹介されているアメリカの研究では、中学校3年生の時の先生が、生徒の高校卒業率や成績、大学進学への意欲にまで影響を与えることが示されています。
また、第9章では、デジタル教材を利用する際にも教員の役割が重要であることを示唆する中国とパキスタンでの研究が紹介されており、これからの教育においても教員は不可欠な存在であり続けるのだと感じました。
デジタル教材や学校で活用されるソフトウェアは、いかに先生とうまく連携できるか、いかに生徒と向き合える本質的な時間を確保するために校務などの時間を効率化できるかが重要なのだと思います。

デジタル教材に関しては、アダプティブラーニングの効果についても言及がありました。学力の格差を広げるのではないかという懸念もあったようですが、実際にはむしろ格差が縮小するという結果が見られているとのことです。特に算数や数学において高い効果が確認され、教員の負担軽減にもつながるという見方もされています。

この本は「エビデンスはいつも正しいのか」という章で締めくくられています。
以前読んだ認知バイアスに関する本の最終章が「認知バイアスという認知バイアス」であったことを思い出しました。
こうした自己言及的な章を最後に配置する構成は、個人的に好ましく感じます。