赤ちゃんはことばをどう学ぶのか

赤ちゃんはことばをどう学ぶのか -針生悦子 著|中公新書ラクレ|中央公論新社認知科学や発達心理学を研究する東京大学・針生先生。先生は生後6~18ヶ月くらいの子ども、いわゆる“赤ちゃん研究員”の「驚き反応」に着目し、人がどのようにことばを聞き取り、理解しているかという言語習得のプロセスを明らかにしてきました。本書はその研究の概要を紹介しながら、これまでに判明した驚くべき知見を紹介していきます。何も知らない赤ちゃんが …https://www.chuko.co.jp/laclef/2019/08/150663.html 「赤ちゃんはことばをどう学ぶのか」は、子どもはどのように言語を身に付けるのかを探る一冊です。 言語発達のプロセスを、それを示唆する実験デザインとともに解説し、大人が思う「子どもは楽々と素早く完璧に言語を習得する」というのが果たして本当なのかを問い直します。 まず、母語獲得についてどのように取り組んでいるのかを確認し、次に外国語学習についての考察を行います。 この書籍は、ゆる言語学ラジオの 赤ちゃんの言語習得 シリーズの参考文献に挙げられており、手に取りました。 私にとって特に興味深かったのは以下の3点です。 赤ちゃんの母語獲得は「楽ちん」ではない 母語以外の言語学習は「早ければ早いほど良い」とは限らない 創意工夫に富む実験デザイン 赤ちゃんの母語獲得は「楽ちん」ではない チンパンジーとの比較実験が示すように、人間の乳児はわずかな期間で語彙数を一気に伸ばしますが、その背景には「区別すべき音」と「無視すべき音」を 自力 で選り分ける膨大な計算作業があります。更に、計算作業の前のステップとして、まず音がコミュニケーションの鍵であることと音の違いが意味の違いを生むことを理解する必要があります。 たとえば [ra] /[la] を聞き分けながら、同時に話者ごとの声質や音程の差は無視する必要があります。 語彙を効率的に増やすためには、指差しを通じて「もの」と「単語」の結びつきを学ぶ必要がありますが、赤ちゃんは指差しの意図を理解することが最初はできません。ヘレン・ケラーも井戸端で “water” と水が紐づくまでは、手に綴られる文字が何を意味するのか全く理解できませんでした。 更に、アメリカの哲学者クワインが指摘したガヴァガイ問題もハードルとして立ちはだかります。「ものを示して単語が言われただけでは、その意味は定まらない」という問題です。「大人の常識」では、ものを指し示して単語を言う時は、基本レベルのカテゴリー名を言うことです。上位カテゴリでもなければ、下位カテゴリでもありません。例えば、「りんご」を指さして、「果物」と呼ぶことはありませんし、「フジ」や「ジョナゴールド」と呼ぶこともありません。この「大人の常識」を赤ちゃんは理解する必要がありますし、そもそも形容詞ではなく名詞であることも理解する必要があります。 言わずもがな、「文法」という存在を知らない状態で、赤ちゃんは「文法」を学ぶ必要があります。 言語のしくみ自体を知らない状態から独学で様々なハードルを超えていく必要があるのが母語獲得のリアルな姿です。 大人は自らが母語獲得について要した苦労のほとんど覚えていないので、「楽ちん」であると思い込んでしまうのですが、実際には非常に大変なプロセスであることがわかります。 これらの情報から「赤ちゃんがどのくらいコミュニケーションの必要性を感じるか」や「どの程度インプットがあるか」といった要素が言語発達のスピードに関わってくるのだろうと思いました。 外国語学習の科学 第二言語習得論とは何か で言及されていたインプット仮説では、アウトプットがなくともリハーサルがあれば言語は上達すると記載されており、コミュニケーションの必要性を感じていることが重要そうですが、かならずしもコミュニケーションが実際に行われているかどうかは重要ではないのかもしれません。 一方で、発音に関しては自分のアウトプットを聞き繰り返し補正していくというのが重要だと言及されています。聴覚障害を持つ方は、フィードバックループを回すことが難しいために、標準的な発音を身につけるのが難しいようです。自分の発した音を自分の耳で聞き、補正していくことが発音の上達には必要になるようです。 親ができるのは、「コミュニケーションを取らないといけない環境に連れて行く(e.g. 保育園)」ことや「子どもが見ているものの名詞を言う」「頻度高く話しかける」といったことなのかもしれません。 母語以外の言語学習は「早ければ早いほど良い」とは限らない 表面的には1人前の口を聞くようになった後も、子供の母語獲得は語彙、語り方、発音のどれもまだまだ不十分な状態です。 母語獲得でさえ3年で済むわけではないです。つまり、同じ時期にもう一つ別の新しい言語に触れさせてみたとして、その習得が早いことは期待できないようです。 実際に母語以外の言語が話されている環境で暮らし始めた場合、現地語を身に付けるまでの期間は、年齢の低い子供の方が長く、その一方で、母語を忘れていくスピードも、年齢の低い子供の方が速いことがわかっています。 言語学習は抽象的な思考が可能になった後に行う方が効率的であることが示唆されています。母語獲得のような言語という存在自体を知らない状態からの学習中に複数の言語の習得を試みるのは、非効率的である可能性が高そうです。 発音という領域に関しては、初め自分の母語では区別しない音でも聞き分けられたのに、生後12ヶ月頃までにはそのような聞き分けができなくなることが知られています。後の言語習得のためにも、例えば英語の音素の区別ができる状態を1歳時点まで維持することが望ましいように思われます。 しかし、ビデオやオーディオを通じて英語に触れさせるだけでは効果がないようです。生身の人間とのやりとりという、赤ちゃんにとって学習する意味のある環境下におく必要があるようです。日本語でコミュニケーションが取れない人が家庭にいない場合は難しいでしょう。 東京でのスタンダップコメディ活動で有名なBJ Foxさんも。子どもの英語習得を促進するために(日本語話せるけれども)英語しか喋れないと思わせるように振る舞い、英語で話す必要性がある環境を作り続けているようです。 海外に単身赴任したご家庭があるとして、たとえ学校より家庭にいる時間が長かったとしても、子どもは現地の友達とコミュニケーションするための言語を選んでいきます。 これは人類の歴史から考えると、むしろ直感的なようです。なぜなら、人類が定住をしない狩猟採集民族社会であったときに、子育てを担当していたのは狩りをする父親(そもそも誰が自分の子供かわからない状態)や常に身ごもっている母親ではなく、兄姉や近隣の子どもたちであったようです。子どもは子どもに世話をされて成長したので、子どもの言うことを聞きます。 これは、脳研究者 育つ娘の脳に驚く の「文庫版のための追記」で言及されていたことです。 能力はどのように遺伝するのか 「生まれつき」と「努力」のあいだ でも、古典的双生児法のメタ分析で分かったこととして、パーソナリティにおいて共有環境(家庭)の影響はほぼないことが示されています。つまり、パーソナリティはほぼ遺伝と非共有環境(家庭外)によって形作られます。 パーソナリティを形作るのは、人とのコミュニケーションやコミュニティであると考えられるため、その点においても整合性があると思います。 少し話が逸れましたが、もし外国語習得をさせたいのであれば、母語獲得をしっかりしてもらって、文法など抽象的な概念が分かるようになってから、英語でのコミュニケーションが必須の環境に飛び込んでもらうのが一番効率的なのかもしれないと思わされました。 そう考えると、小学校での英語教育はどのくらい費用対効果があるのか気になってはいます。 ただでさえ負荷の高い小学校の先生の負荷を増やすのに見合った成果はあるのだろうか。もし導入における根拠が臨界期仮説のみだとしたら、かなり思い切りが良い施策のように思われました。 創意工夫に富む実験デザイン 言葉を使った意思疎通ができない赤ちゃんを対象にした実験は、工夫があって非常に面白いです。 メジャーなものとして以下の2つがあるようです。 選好法:例えば、視線の長さで「複雑な図形を好む」ことを読み取る 馴化‐脱馴化法:例えば、飽きるまで緑を見せ、色を青に変えて視線が延びれば「色差が分かる」と結論づける 新生児の視力は0.01程度と言われていますが、その測定は、馴化‐脱馴化法を利用しているようです。 黒と白の縞々模様を間隔を徐々に狭めながら見せて、グレーに見え始める間隔がどの程度なのかを測っているとのことです。 首が据わっている場合には、首の向きで赤ちゃんの好みや飽きを察することができますが、首が据わっていない場合にはどうするのでしょうか。 吸啜(きゅうてつ)条件づけ という方法を利用するようです。 赤ちゃんに特別なおしゃぶりを加えてもらいます。このおしゃぶりからは何の飲み物も出てきません。しかし赤ちゃんがおしゃぶりを吸った回数やその速さを測定し、それに応じて音を流したり流すのやめたりすることができるようになっています。 非常に面白く興味深いなと思いつつ、読んでおりました。 ...

7月 1, 2025 · 1 分 · 44smkn

論破という病

論破という病 「分断の時代」の日本人の使命 -倉本圭造 著|中公新書ラクレ|中央公論新社 自分と異なる意見を持つ相手を「敵」と認定し、罵りあうだけでは何も解決しない。今必要とされているのは、「メタ正義感覚」だ――。日本に放置されているコミュニケーション不全に対し、対立する色々な立場の間を繋いで成果を出してきた〝経営コンサルタント〟の視点と、さまざまな個人との文通を通じ、社会を複眼的に見てビジョンを作ってきた〝思想家〟の視点を …https://www.chuko.co.jp/laclef/2025/02/150834.html 著者の倉本圭造さんの経歴がユニークだったために、気になり手に取った本です。 マッキンゼーでキャリアを開始し、その後は肉体労働やブラック企業勤務、カルト宗教団体への潜入、ホストクラブでドンペリを入れもらうなど、様々な経験を経て、船井総研に入社し、現在は独立しているとのことです。 「恵まれたエリート目線では見えないものを知るために(という今思うと少し浅はかな青臭い精神で)」とおっしゃっていましたが、「イシューからはじめよ」でも一次情報に触れることの重要性が語られていたように、素晴らしい姿勢だと思います。 本来であれば、専門性が高いエッセンシャルワーカー(教員や保育士、学校や病院介護施設の調理員など)の待遇はホワイトカラーよりも良くあるべきだと思っており、少し後ろめたい気持ちで日々を過ごしているだけの私とは違います。 本書の冒頭で、「メタ正義感覚」について語られています。 「メタ正義感覚」とは、相手が持つ正義と自分が持つ正義の両方を尊重することです。 足して2で割った妥協案ではなく、相手の意見の存在意義に向き合い、クリエイティブな解決策を考えることが求められます。 これは、メアリー・フォレットが提唱した「統合」に似ていると感じました。 本書には旅行の計画が例として挙げられていましたが、私は注文住宅の設計について考えました。 例えば、「全館空調にしたい」という意見があったとして、その意見の存在意義は「第一種換気を取り入れたい」であったり「室外機の数を減らして外観をスマートにしたい」かもしれません。 後者の理由でかつコストがネックで対立しているのであれば、屋根裏エアコンでも十分に叶えられる可能性があります。 本書では、メタ正義感覚を持つことが、社会課題の解決に向けた重要アプローチであると強調されています。 その後に語られる「水の世界」「油の世界」という概念と、それらを「乳化剤」によって共存させるアプローチ(マヨネーズのような形態)は、まさにメタ正義感覚の実践例として印象的でした。 IT技術の社会実装については、SIerやコンサルタントの立場にある方々がより切実に課題を感じているかもしれません。 著者によれば、日本の働き手は末端まで強い責任感を持ちすぎており、外部からの改善提案を受け入れにくい傾向があるとのこと。 このような状況に対し、著者は「水側の人が油側の人をあと3歩迎えに行く必要がある」と提案しています。 かつては「過剰にカスタマイズを求める人々が合理化を妨げている」という考えを水側の人が一方的に押し付けていましたが、最近は日本企業の事情に歩み寄り、現場のニーズに徹底的に寄り添ったユーザーインターフェースを作り込む企業が増えてきているそうです。 「一つのことをうまくやる」SaaSを組み合わせるUNIX哲学的なアプローチは、特に中堅企業において有効な選択肢になりうると感じました。 著者はまた、「ドラクエ型」と「FPS型」という興味深い概念で日本の競争力低下を説明しています。 ドラクエ型は従来の日本的競争スタイル、FPS型は新しい競争スタイルを表しており、日本が全体的に競争で後れを取っているのは、競争の形態そのものが変化したためだと指摘しています。 ドラクエ型が有効な分野ではまだ強みを発揮できているものの、ソフトウェアや家電といった分野ではFPS型への転換に遅れを取っているとのこと。 これは経営学でいう「知の深化」と「知の探索」の対比に通じるものがあります。自分自身が「ドラクエ型」の思考を持っていたことに気づき、ハッとさせられると同時に、その分析には納得感がありました。 本書は様々な社会課題に対してメタ正義感覚をどう適用していくかを具体的に示しており、読み進めるうちに概念が腹落ちしていく体験ができました。 読後は未来に対してやや希望を持てる気持ちになりました。 課題は山積していますが、議論は既に本書で言う「令和型」に移行しつつあり、地に足のついたメタ正義的な解決策を積み重ねていける兆しが見えると感じました。 本編を通して「〜な意見があり」という形で紹介される多様な意見の存在に新鮮さを覚えました。 これは私自身が似た属性の人々との交流に偏りがちで、著者のように多様な人々と接する機会が少ないからでしょう。 読書を通じて異なる視点や課題を俯瞰し、日本社会の解決策を考える機会を得られることは、ありがたいなあと感じました。 Xでいろんな意見を見ている感覚でいたのですが、実際にはフォローしている人は自分とよく似た属性の人ばかりであることに気づきました。 よく考えたら、フォローしている人以外のつぶやきを見るのは「松村北斗」「内山昂輝」「トンツカタン森本」でパブサするときだけでした。 そのベン図ある?

3月 30, 2025 · 1 分 · 44smkn