論破という病
論破という病 「分断の時代」の日本人の使命 -倉本圭造 著|中公新書ラクレ|中央公論新社 自分と異なる意見を持つ相手を「敵」と認定し、罵りあうだけでは何も解決しない。今必要とされているのは、「メタ正義感覚」だ――。日本に放置されているコミュニケーション不全に対し、対立する色々な立場の間を繋いで成果を出してきた〝経営コンサルタント〟の視点と、さまざまな個人との文通を通じ、社会を複眼的に見てビジョンを作ってきた〝思想家〟の視点を共に駆使し、新しい活路を見いだす。 堀江貴文氏失脚に象徴的な日本の「改革」失敗の本質的な理由や、日本アニメの海外人気が示唆するもの……などをひもとくことで、「グローバル」を目指して分断が深まった欧米とは異なる、日本ならではの勝ち筋を見つけ、この20年の停滞を乗り越える方策を提示する。あらゆる「絶対」が無効化し、混迷が深まる多極化時代の道しるべとなる1冊。https://www.chuko.co.jp/laclef/2025/02/150834.html 著者の倉本圭造さんの経歴がユニークだったために、気になり手に取った本です。 マッキンゼーでキャリアを開始し、その後は肉体労働やブラック企業勤務、カルト宗教団体への潜入、ホストクラブでドンペリを入れもらうなど、様々な経験を経て、船井総研に入社し、現在は独立しているとのことです。 「恵まれたエリート目線では見えないものを知るために(という今思うと少し浅はかな青臭い精神で)」とおっしゃっていましたが、「イシューからはじめよ」でも一次情報に触れることの重要性が語られていたように、素晴らしい姿勢だと思います。 本来であれば、専門性が高いエッセンシャルワーカー(教員や保育士、学校や病院介護施設の調理員など)の待遇はホワイトカラーよりも良くあるべきだと思っており、少し後ろめたい気持ちで日々を過ごしているだけの私とは違います。 本書の冒頭で、「メタ正義感覚」について語られています。 「メタ正義感覚」とは、相手が持つ正義と自分が持つ正義の両方を尊重することです。 足して2で割った妥協案ではなく、相手の意見の存在意義に向き合い、クリエイティブな解決策を考えることが求められます。 これは、メアリー・フォレットが提唱した「統合」に似ていると感じました。 本書には旅行の計画が例として挙げられていましたが、私は注文住宅の設計について考えました。 例えば、「全館空調にしたい」という意見があったとして、その意見の存在意義は「第一種換気を取り入れたい」であったり「室外機の数を減らして外観をスマートにしたい」かもしれません。 後者の理由でかつコストがネックで対立しているのであれば、屋根裏エアコンでも十分に叶えられる可能性があります。 本書では、メタ正義感覚を持つことが、社会課題の解決に向けた重要アプローチであると強調されています。 その後に語られる「水の世界」「油の世界」という概念と、それらを「乳化剤」によって共存させるアプローチ(マヨネーズのような形態)は、まさにメタ正義感覚の実践例として印象的でした。 IT技術の社会実装については、SIerやコンサルタントの立場にある方々がより切実に課題を感じているかもしれません。 著者によれば、日本の働き手は末端まで強い責任感を持ちすぎており、外部からの改善提案を受け入れにくい傾向があるとのこと。 このような状況に対し、著者は「水側の人が油側の人をあと3歩迎えに行く必要がある」と提案しています。 かつては「過剰にカスタマイズを求める人々が合理化を妨げている」という考えを水側の人が一方的に押し付けていましたが、最近は日本企業の事情に歩み寄り、現場のニーズに徹底的に寄り添ったユーザーインターフェースを作り込む企業が増えてきているそうです。 「一つのことをうまくやる」SaaSを組み合わせるUNIX哲学的なアプローチは、特に中堅企業において有効な選択肢になりうると感じました。 著者はまた、「ドラクエ型」と「FPS型」という興味深い概念で日本の競争力低下を説明しています。 ドラクエ型は従来の日本的競争スタイル、FPS型は新しい競争スタイルを表しており、日本が全体的に競争で後れを取っているのは、競争の形態そのものが変化したためだと指摘しています。 ドラクエ型が有効な分野ではまだ強みを発揮できているものの、ソフトウェアや家電といった分野ではFPS型への転換に遅れを取っているとのこと。 これは経営学でいう「知の深化」と「知の探索」の対比に通じるものがあります。自分自身が「ドラクエ型」の思考を持っていたことに気づき、ハッとさせられると同時に、その分析には納得感がありました。 本書は様々な社会課題に対してメタ正義感覚をどう適用していくかを具体的に示しており、読み進めるうちに概念が腹落ちしていく体験ができました。 読後は未来に対してやや希望を持てる気持ちになりました。 課題は山積していますが、議論は既に本書で言う「令和型」に移行しつつあり、地に足のついたメタ正義的な解決策を積み重ねていける兆しが見えると感じました。 本編を通して「〜な意見があり」という形で紹介される多様な意見の存在に新鮮さを覚えました。 これは私自身が似た属性の人々との交流に偏りがちで、著者のように多様な人々と接する機会が少ないからでしょう。 読書を通じて異なる視点や課題を俯瞰し、日本社会の解決策を考える機会を得られることは、ありがたいなあと感じました。 Xでいろんな意見を見ている感覚でいたのですが、実際にはフォローしている人は自分とよく似た属性の人ばかりであることに気づきました。 よく考えたら、フォローしている人以外のつぶやきを見るのは「松村北斗」「内山昂輝」「トンツカタン森本」でパブサするときだけでした。 そのベン図ある? Memo 令和の議論の目的は、「『イデオロギー的な敵』を論破するのではなく、協力し合って具体的な問題解決を行うこと」であるべき 「『我々善人の敵』を徹底的に打倒しさえすればすべてがうまくいく」という平成・昭和型の議論から脱却する メタ正義感覚 相手が持つ正義と自分が持つ正義の両方を尊重する = NOT 足して2で割った妥協案 相手の意見の存在意義に向き合う ex) 「沖縄に行きたい」という意見があり、なんらかの理由でそれとは対立した意見を持っている。自分の意見を押し付けるのではなく、なぜ「沖縄に行きたい」のかを掘り下げて双方の意見の存在意義を満たすプランを考える。それは2で割った妥協案よりもクリエイティブで、当初のプランとは全く異なるものかもしれない。 どれだけ相手のニーズを汲み取った提案ができるか?という競争的な側面もある フィジカルレベルで理解する必要がある、形だけの尊重が世にあふれている 📝 これは、メアリー・フォレットが対立解決の方法として提唱した 統合(Integration)っぽい。 📝 例えば、注文住宅を設計するときに、「全館空調にしたい」という意見があったとして、その意見の存在意義は「第一種換気を取り入れたい」であったり「室外機の数を減らして外観をスマートにしたい」かもしれない。後者の理由でかつコストがネック対立しているのであれば、屋根裏エアコンでも十分に叶えられる可能性がある。 メタ正義感覚の本質を山積みの社会課題に適用していく ネオリベラリズム シカゴ大学の学者グループなどを中心とする経済学の一つの学派 特にアメリカのレーガン政権やイギリスのサッチャー政権が推進した経済政策の思想 小さな政府(規制緩和、政府の市場介入を減らす) 市場原理主義(自由競争を重視) 民営化の推進 福祉の縮小 新自由貿易の推進 日本ではこの言葉が、新自由主義経済学から離れて、「庶民の敵」「竹中平蔵や小泉純一郎(非正規雇用の拡大による格差の拡大の文脈?)」を表す批判的な意味合いで使われることが多いらしく、この本でもそのように使われている 「議論ができない国」を20年間やってきたからこそ、これから反撃のチャンスがある 過去20年の日本の停滞は、グローバル経済の毒(解雇規制,社会保障費の大幅な削減,移民受け入れ)から自分たちのコアの長所を守るためだった 水の世界と油の世界 狭義の合理主義者が、憎らしくてたまらない “なにか” によって支えられている共通善のようなものがある 水は自由にそのとき最適な場所へ流れ、油は1箇所にへばりついて特有の世界を形成する 「油の世界」の論理だけを追求すると、人々の連帯感や社会の安定感が生まれる一方で、個人への抑圧が強くなる。千変万化する情勢に鋭敏にやり方を変えて対応することが難しい 「水の世界」の論理だけを追求すると、最近の研究や学識を取り入れながら急激に変化することが可能だが、地場の人々の連帯感が失われる 水と油は乳化剤によってそれぞれの性質を維持しながら共存することができる、マヨネーズやバターを作る発想が持てるかが重要 水の世界の住人と油の世界の住人が、メタ正義的な関係を築くことができれば、油の世界の住人は水の世界の住人の動きを応援してくれる オプトインよりオプトアウト型 ドラクエ型とFPS型 日本が全体的に競争に劣後したのは、競争が変わってしまったから ドラクエ型で対応できる分野はまだ強いが、ソフトウェアや家電といった分野はFPS型に変わり他国に遅れを取っている 📝 これは両利きの経営における「知の深化」と「知の探索」に対応しそうだ 油の世界の人がその中のルールを水の世界の人間に押し付けてはいけないし、その逆も然り 象は象の生態を徹底的に生きるべきで、チーターはチーターの生態を生きるべき 人間の組織と言うのは、ちょっとした雰囲気程度のことで、パフォーマンスが全然変わってきたりすると理解して尊重し合うことです 伝統的な大企業がベンチャーと協力するような、「油の中に水」型は日本は得意な一方で、「水の中に油」型の協業が苦手 油の世界の密度感で、経済合理性からすると、非合理なレベルで突き詰められたものたちを、水の世界に渡して、グローバルに売りまくる 日本には普通にあった高性能なペン「ポスカ」などを適切なマーケティングのもと海外で売りまくり、このデジタル化とペーパーレス化の時代に、過去最高益を叩き出している三菱鉛筆 スラムダンク式と筆者は言っている(仙道と魚住)。 IT技術の社会実装はさらに上級の課題 日本の働き手は末端まで自分の仕事に対する責任感が強すぎて、外部が改善するのをとにかく嫌がり共通したシステムを入れて、全体として合理性が生まれることに強烈に必死に命がけで抵抗する傾向がある こういう分野は、水側の人が、油側の人をあと3歩ぐらい迎えに行く必要性がある ここ20年位の日本では、過剰にカスタマイズしたがる人のせいで、合理化が進まないのだという一方的な意見ばかりが水側から出されていた。しかし、直近は違うようです。日本企業側の事情に歩み寄り丁寧に場合はをし、現場のニーズに徹底して寄り添ったユーザーインターフェースを作り込むような会社が増えた。水の世界のインテリが、中央集権的に末端まで管理する。過去20年のシステムとは、逆に油の世界で蓄積された価値をITが吸い上げるタイプの専用品は、今後の日本で非常に重要な価値筋となっていく。 人は艱難は共にできるが、富貴は共にできない 日本は中小企業があまりに小さいサイズのまま放置されているので、それが生産性の効率化を妨げている 従業員数10人とかの零細企業を他国に比べて多く、大抵従業員は低賃金で長時間労働をさせられており、いわゆる多重下請け問題にもつながる構造的な課題になっている 20人未満の企業で働く人の割合を見ると、国全体の生産性とかなり綺麗な反比例関係にある 中小企業の区分とは別に中堅企業と言う法的区分を設けて、そこに集約が済むような丁寧な政策を打ち始めた 多種多様な現場レベルの工場従業員や働き手の自己効力感を破壊せず、むしろ彼らが提供する価値をグローバルに有効な価値筋に昇華させ、徹底的にマネタイズできるような戦略と噛み合った上でならば、中小企業の統合プロセスは今後自然と進んでいくように思う