教員不足

教員不足/佐久間 亜紀|岩波新書 - 岩波書店 先生が確保できない。全国の学校でそんな悲鳴が絶えない。独自調査で問題の本質を追究し、教育をどう立て直すかを具体的に提言。 佐久間 亜紀 著https://www.iwanami.co.jp/book/b653997.html 教員の方々が非常に忙しいというのは、教職の友人や(教育関連サービスを提供している関係上)職場でもよく耳にすることでした。 しかし、何が原因でそのような事態となっているのか、いつ頃からなのか、その解消に向けた動きはあるのか、といった疑問をそのままにしていました。 タイトルを見た瞬間、頭の片隅にあった疑問たちが一斉に脳の中心に押し寄せ、私の手を岩波の赤い表紙が並ぶ棚へと導いたのです。 冒頭では、著者の教え子で教職についている方々のエピソードが紹介されますが、妊娠を喜べない窮状や教員不足による過度な労働など、心が痛むものばかりでした。 本書は、それが特殊なケースではなく、普遍的な現象であることを裏付ける調査結果と考察が展開されています。 そもそも「教員不足」にも複数の解釈があり、本書では4段階に分類されています。 私のように背景知識がない人がこの4段階を理解するうえでは、2つの壁があると考えます。どちらも詳細に記述されており、理解に困ることはありませんでした。 1つ目は、国が標準とする教員定数(基礎定数と加配定数)を決める仕組みである義務標準法です。「国が標準とする」という表現の通り、これがそのまま採用されるとは限らず、最終的には地方自治体が教員数(条例定数と配当定数)を決定します。 義務標準法では、必要な学級総数(通常学級と特別支援学級の担任数)を (生徒の数) / (1クラスあたりの人数) で計算します。(1クラスあたりの人数) は、現在35人学級への移行中であるため、35あるいは40人が標準となっています。これに加えて、担任を持たない教員の数を決めるために、「乗ずる数」と名付けられた係数をかけます。学級数に応じた係数が定められており、例えば、中学校の全6学級であれば、1.75倍となっています。 さらに、ここに加配定数が加わります。学校の課題に応じて措置する定数とされています。しかし、年度ごとに確保される予算であるため、加配定数を根拠に正規雇用するのが難しいという問題があるようです。 この雇用するべき教職員数の標準を雇用するための人件費の1/3が国庫負担金として自治体に交付されます。 2つ目は、教員の非正規雇用についてです。私が中学生であった2011年時点で、6人に1人は非常勤講師という状態だったとのことですが、正直生徒の立場からはその差異はよく分かっていませんでした。 実態はかなり多様ですが、大きく3つのグループに分類できます。第一のグループ「臨時的任用教員」は、任期付きではあるものの、フルタイムの常勤であるため、学級担任や部活指導も任されます。第二グループ「非常勤講師」は授業だけを担当します。しかし、2001年以降は多様化し、「常勤的非常勤」という一見矛盾した働き方が増えています。第三グループ「再任用」は、定年退職後に再び任用されるものです。 この2つについて理解すると、4段階に分けられる教員不足が理解できるようになると感じます。 第一次未配置 正規雇用教員が年度当初で既に不足している 第二次未配置 臨時的任用教員を配置したうえで不足している 第三次未配置 常勤的非常勤講師を配置したうえで不足している 第四次未配置 各学校で教員の受け持ちを増やしたり教頭先生が兼務するなどしてカバーしたうえで不足している つまり授業が行えず、自習状態になっている 驚いたのは、第四次未配置を回避するための対応として、免許外教科担当制度という特別に免許のない科目について教員が授業を行うことがあるという点です。 これはデジタル教材を活用できるのではないかと思いました。中国では、教員の監督のもとデジタル教材を視聴することで、学力の地域格差を縮小した例があったと記憶しています。 本書の中で調査に協力してくれたX県では、授業が行われないケースはなかったものの、第三次未配置の状態にあり、本来は産休などのために確保している臨任や非常勤講師を4月時点で使い切ってしまっているようです。団塊世代の退職に伴って教職員の若返りが進んだことで産休の需要は以前よりも高まっていることや、精神疾患による休職の増加を踏まえると、これは深刻な問題と言えます。現に調査では、年度末の不足は年度始めの2倍ほどになっているとのことです。 第4章から第6章では、なぜ教員不足になったのかという点についての考察がなされています。 バブル崩壊から連鎖した不景気の波は、国の財政の合理化を促進し、行財政改革による公務員の削減と義務教育費の削減が行われました。その結果、少子化へと向かう社会の中で、終身雇用を保証する正規雇用は避けられ、非正規化が進みました。教育改革によって教員の負担が増え、長時間労働化が進行しました。さらに、教員免許の更新制の導入(2022年に廃止)など、教員を減らす力学が働く政策が実施されたことが追い打ちをかけたようです。 第7章は、より教員が不足しているアメリカについての記述がありましたが、なぜアメリカで分断が進んでしまっているのかという示唆を得たように感じました。 「公立学校はセーフティネットだ」という表現がありましたが、まさにそのとおりだと思いました。 本書の最後の方でも述べられていますが、私自身も近い将来においてはIT技術が教員の代わりを務める、いわば銀の弾丸にはなり得ないと考えます。 ただ、デジタル教材をはじめとするIT技術によって、より効率的に個別最適化を進めたり、ソフトウェアが校務分掌を担うことで、子どもと向き合う時間を増やせるような、教員の方々がより健康かつやりがいをもって取り組める環境づくりの一助になれるのではないかと思いました。

3月 16, 2025 · 1 分 · 44smkn

科学的根拠(エビデンス)で子育て

科学的根拠(エビデンス)で子育て家庭・学校・塾・職場で「人を育てる」あなたの疑問に、最新の科学がすべて答えます!https://www.diamond.co.jp/book/9784478121092.html 教育業界に関連する事業に携わる者として、公教育で実施されている施策や民間企業が提供するサービスの背景にある根拠、そしてそれらがどのような研究や実験から導かれているのかを概観できる書籍を求めて、この本を手に取りました。 紹介されている研究は、信頼性の高いもの、そして直感に反するものが選ばれているようで、確かにどれも興味深い内容でした。 しかし、最も衝撃を受けたのは「はじめに」の部分かもしれません。教育の「成果」を測る物差しは「学力」であるという考えが、知らず知らずのうちに自分の中に染み付いていたことに気づかされました。 これは私が教育の「成果」を短期的な視点でしか見ていなかったことの表れと言えるでしょう。 (人によって幸せの定義は異なりますが)多くの日本人の人生において大きな割合を占める仕事や結婚を考えると、学力(認知能力)よりも、社会性などの非認知能力の方がより強く求められるものだと著者は指摘しています。そう考えれば、教育の「成果」の物差しは認知能力ではなく、非認知能力とする方が自然ではないでしょうか。 だからといって、認知能力が低くても良いというわけではなく、両方が重要であることが第二章で述べられています。興味深いことに、認知能力を伸ばす上でも非認知能力が鍵となるようです。非認知能力は認知能力を伸ばすことがあっても、その逆はないとのことで、早期に投資すべきは非認知能力(将来の収入と関連があるのは、忍耐力・自制心・やり抜く力)だと説明されています。第9章でも、幼児教育においては、計算や読み書きを小学校入学前に教える「基礎学力重視」の園よりも、「関心・経験重視」の園の方が質が高いという研究結果が紹介されており、これが一つの裏付けとなっています。 非認知能力を伸ばす上で「先生」が重要な役割を果たすようです。第3章で紹介されているアメリカの研究では、中学校3年生の時の先生が、生徒の高校卒業率や成績、大学進学への意欲にまで影響を与えることが示されています。 また、第9章では、デジタル教材を利用する際にも教員の役割が重要であることを示唆する中国とパキスタンでの研究が紹介されており、これからの教育においても教員は不可欠な存在であり続けるのだと感じました。 デジタル教材や学校で活用されるソフトウェアは、いかに先生とうまく連携できるか、いかに生徒と向き合える本質的な時間を確保するために校務などの時間を効率化できるかが重要なのだと思います。 デジタル教材に関しては、アダプティブラーニングの効果についても言及がありました。学力の格差を広げるのではないかという懸念もあったようですが、実際にはむしろ格差が縮小するという結果が見られているとのことです。特に算数や数学において高い効果が確認され、教員の負担軽減にもつながるという見方もされています。 この本は「エビデンスはいつも正しいのか」という章で締めくくられています。 以前読んだ認知バイアスに関する本の最終章が「認知バイアスという認知バイアス」であったことを思い出しました。 こうした自己言及的な章を最後に配置する構成は、個人的に好ましく感じます。

3月 11, 2025 · 1 分 · 44smkn