科学的思考入門
この書籍では「科学的とはどういうものか」という問いに答えるところから始まります。 以下のようにいくつかポイントを挙げてみて作ったスケッチに書き込みを加えていくという構成になっています。
- 説明を(とくに因果関係やメカニズムについての説明を)する
- 専門的に確立された・明確に定義された用語や概念を用いる
- 仮説の検証を試みる
- 制度化されている
第3章の標語である「心理は真理を保証しない」というメッセージが強く印象に残っています。自分がすぐに出せる判断や考えの中に「答え」や「解決」を見つけるのではなく、そうしそうな自分を疑うことがポイントだ、と指摘する哲学者オルテガの主張に通ずるところがあるのかもしれません 1。
個人的に、特に面白く興味深かった点を3つ挙げてみます。
素朴理論
素朴理論とは、一人ひとりの人間が日常生活を送る中で自ずと身につけている、この世界を説明/理解する枠組みを指します。素朴理論は、この世界を正しくとらえているとは限らないですし、混乱の種にさえなる、と指摘されています。
例として、素朴物理学の範囲に属する3つの問いが挙げられています。ここでは、その中の1つを抜粋します。
100グラムの羽毛と100グラムの鉄では、重いのはどちらか?
ともに100グラムであるため、どちらか一方が重いということはありません。しかし、多くの人が一瞬ためらいを覚えます。鉄のほうが「重そうな感じ」がするからです。ここに素朴物理学の働きがあります。
心理学では、素朴理論から化学的思考の進み方として以下の2つを定義しています。
- 豊富化: 大枠を保ったまま中身をきめ細かく充実させる
- 概念変化: 素朴理論の中心部分の再構成
素朴生物学は、概念変化を必要とする事柄の弊害が大きいと言えるでしょう。
特に、本書でも紙幅を割いて説明されている心理的本質主義は、ホモ・サピエンスが抱えてしまった一種のバグのように、私には感じられました。心理的本質主義では、ものごとの表面にみられる性質や振る舞いは、その内部にあって変わることのない本質に由来すると考えます。
心理的本質主義は、差別や偏見の温床になります。生活保護を扱った2025年の こたけ正義感の弁論 では「生活保護だから〜」「宇治住みだから〜」という言説について言及していました。これは、心理的本質主義が関係しているでしょう。創作の中でも、「進撃の巨人」のガビを始めとして、心理的本質主義に端を発する偏見に陥っている人物が出てきます。その登場人物を俯瞰で見ている私たち読者は、苛立ちを覚えることがあります。しかし、自分も同様の状況に陥っていてしまいがちなことに自覚的である必要があるでしょう。
もう一つの弊害として、進化と進歩の混同が挙げられています。気づかずに混同していることが多そうです。「ポケモン/デジモン ネイティブ世代なので」という言い訳は…流石に苦しいですかね。退化も進化であり、進化に方向はないのです 2。
他の素朴生物学だと、無生物でも動くものなら生命が宿っているとする「一種のアニミズム」も目に留まりました。生成AIが身体性を伴った時、このような話題の登場機会は多くなりそうです。
私の思考は、素朴理論に引っ張られがちだと感じています。そのため、この本で一番印象に残ったのは素朴理論でした。
最後に、この「素朴」という言葉遣いについて気になったことを共有したいと思います。というのも「素朴」という言葉の響きはかなりポジティブ寄りに私には感じられますが、素朴理論においてはネガティブな意味も含みます。
私の調べでは、素朴理論は英語で Naive Theory と表現されるようです。
やや脇道に逸れますが、英語の naive は日本の ナイーブ とは微妙に意味が異なります。
まずは手元の新明解国語辞典第8版を引いてみます。ポジティブですね3。innocent に近い印象を受けます。
ナイーブ 純真な子供のように一切邪心を抱かずに物事を見たり、感じたりする心の状態だ
次に ロングマン現代英英辞典 を引いてみます。ややネガティブなニュアンスが伝わってきますね。
naive not having much experience of how complicated life is, so that you trust people too much and believe that good things will always happen
このように、素朴理論は一見すると良い意味のみ含意しているように思えますが、両面あることを頭に置いて書籍を読み進めると良さそうです。科学的思考入門においては、素朴理論の負の面に注目しています。
仮説の評価
仮説の良し悪しを評価をするための使い勝手の良い物差しを与えてくれるのが反証主義です。
反証主義とは、ある仮説や予測が科学的であるためには、「反証可能性」がなければならない、とする考え方です。反証とは、仮説に対して否定する証拠をあげることです。
別の書籍にあった反証主義の一例にあたるものをここで参照したいと思います4。
アメリカの小さな町ドーヴァーで2005年に起こった進化論を巡る裁判の争点の1つは、ID理論が科学的なものかという点でした。ID(Intelligent Design)理論とは、必ずしも進化論を否定しないが、種の生成の過程で知性を持った超自然的な設計者(デザイナー)の介入があったとするものです5。ID理論は創造論が科学的な装いを纏ったものとも言えるでしょう。この裁判は、進化論を否定する福音派の教育委員2人が、ある高校が進化論のみを教えていることに疑義を呈し、教育委員会でその旨を部分的に汲み取った決定がなされたことに端を発します。
ID理論が科学的であるか、という点に関して、原告側(生徒の親)が主張したのは当に、ID理論には反証可能性がないというものでした。ID理論は、観察や実験によって否定される可能性がないという主張です。
反証可能性が高いほど情報の価値が高いという点に面白さを感じました。言われてみれば確かに、反証可能性の低い仮説や予測は情報の新しさや豊富さに欠けそうです。
反証可能性の高低を見極めるポイントとして以下の3つが挙げられています。
- 仮説の一般性: カバーされている範囲が広いこと
- 明確さ: 仮説や予測が明確に、できれば定量的に表現されていること
- 予測の限定性: ピンポイントである度合いが高いこと
ただし、反証主義は評価の物差しとしては粗いところもあるため、いくつかの基準に基づいた総合評価が求められることを頭に置いておくべきでしょう。例えば、一般性や予測力、整合性、再現性、単純性、前進性などの複数の基準が必要そうです。
整合性には、仮説内部の整合性だけでなく、仮説の外側の広く受け入れられた知見と衝突しないかという外的整合性を含みます。
制度で科学的に思考する
科学者のコミュニティ内で、互いに研究をチェックするような手続きを設けることで、質の高い情報を生み出すプロセスが形成されています。
制度化された科学に共通するイメージについて、筆者は「耐久性テスト」だと述べています。工業製品を市場に送り出す前に実施するテストのことです。
耐久性テストのうち、2つの段階を取り上げています。
1つ目は査読です。論文を学会誌や学術誌などに掲載に値するかを他の研究者に見極めてもらう作業です。
自然科学で言えば、ネイチャー誌やサイエンス誌が2大巨頭で、掲載されたら地元に銅像が立つレベルとのこと6。前野ウルド浩太郎さんの著書 バッタを倒すぜ アフリカで では 査読結果をドキドキしながら待つ様子が描かれていて、読んでいるだけの私も、なんだかそわそわしてしまったことを覚えています。レビュワーからの指摘に対しての修正や議論を通して、論文が磨かれていく描写が確かにありました。具体的には、実際に単純性(仮説の評価観点の1つ)について、前野さんは改善を実施し、accpetをもぎ取ったのでした。
査読・掲載前の論文のアップロードを受け付ける arXiv のようなサイトもあるようです。そう言えば、今読んでいる AIエンジニアリング の参考文献の論文リンクは arXiv ばかりです。
2つ目は、論文掲載後のチェックです。
論文の著者以外の研究者が、論文の記述を参照して実験を自分の手でやり直す営みである「追試」が挙げられています。心理学・行動経済学の著名な論文が次々と追試失敗したのは記憶に新しいと思います7。その中でも、インパクトのあるニュースの1つだったのが、ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンの著書ファスト&スローに記載されている社会的プライミング効果は再現性の低さです。また、有名な「予想通りに不合理」のダン・アリエリーが共著者に名前を連ねる論文にデータの捏造が存在したことも非常にネガティブなニュースでした。
再現性や一般性を確認するためにも、追試結果を確認するのは良い試みでしょう。
なぜここで一般性についても言及したかというと、地域によって結果が異なることがあるからです。実際に、有名な認知バイアスの1つである 根本的な帰属の誤り(Fundamental attribution error)は、東アジア系の人には当てはまりづらいことを示した実験があります 8。
Footnotes
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増補改訂版 スマホ時代の哲学 P.40 参照 ↩
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「ポジティブですね〜!」といえば、さよなら絶望放送が思い起こされます。「存在感が臼井君」のコーナーの人間立体交差点さんの投稿が好きだった記憶はあります。 ↩
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福音派―終末論に引き裂かれるアメリカ社会 P.170参照 ↩
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進化とは何か ―ドーキンス博士の特別講義― のP.103で、哲学者ヒュームを引用して、反証主義ではないロジックで創造論の否定しています。デザイナー自身をデザインは誰が行ったのかという説明ができないというものです。ID理論においても同じことが言えそうです。 ↩
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バッタを倒すぜ アフリカで P.490を参照 ↩
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文化が違えば、心も違う? P.88を参照 ↩